常識を、疑ってみる!
なかなか更新が出来なくてすいませんでした。
リアルでの仕事が多忙でなかなか投稿できませんでした。ごめんなさい。
今回は常識を疑うをテーマに話していきたいと思います。
突然ですが私はサラリーマンをしているのですが先日仕事のことで上司の方と言い合いになり(喧嘩まではいかない程度の)そこで最後に言われたのが常識だからという言葉でした。
ここで常識というものを少し考えてみたいと思います。
まず常識とは?
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Google先生曰く、「常識とは社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。」みたいです。
確かに常識と言われるものの中には守らなければいけないものもあると思います。
例えば「人を殺してはいけない」などがあります。ちなみに僕の好きなドラマ相棒のどこかでこのような問いかけありましたね。
ですが常識は必ずそれが正しいか?と言われるとそれも違うのではないだろうか?
常識とはマジョリティ=多数派の意見で構成されています。ものすごく少数な人が持っている意見をこれが常識だ。と言っても効力も信用もされないかもしれません。
裏を返せば常識という言葉は相手への非難にも使えます。そして言った本人も多数派の意見であるという安心感を抱くかもしれません。
我々の住む日本=民主主義国家にもこの多数派というのは大きな力を持っています。
そしてその多数派の意見で過去それが間違いではないだろうか?という問いかけを残す問題はありますよね?
例えば「黒人奴隷問題」「ユダヤ人問題」日本では過去「女性には投票権がない」のが常識だったこともあります。このようにこれって正しいの?と思うようなことも常識として言われていたりしました。
よって常識は必ずしも正しいではなくその意見が多数派なだけであるということではないだろうか?
これは僕の意見なんですが常識という言葉を使うのは思考停止に近い状態だと思います。
その常識を追及していけば、くだらないことに過ぎないこともあると思います。
そして常識は不自由さを有すこともあります。あなたがまだ常識でいることに安心感を抱きたいならそのままでいいでしょう。でも少しでも自由になりたいと感じているなら常識を疑うことをしてみてはどうでしょうか?
ちなみにその上司とは後日お互い言い過ぎたと謝り。今では普通に仕事をしています。言い合いは悪い方向に進むだけではないということですね。
少しきつく書きましたねm(_ _"m)これが何かのきっかけになれば幸いです。